上京(Reprise)

大学受かったんだ、おめでとう。もうこっち来てるの?どこ住んでるの?東中野か、いいとこだよ。おれ新井薬師だから近いね。いいじゃん、自転車買いなよ。いろいろ行けるよ。あと、桜が咲いたら中目黒にいくといいよ。

 

合格発表の日、僕のツイッターを見た友人からかかってきた電話でそんなことを言われた。高校時代の成績が低空飛行だった僕は、同級生たちより一年遅れで大学に受かった。去年の夏に再会した彼は確かに垢抜けていて、でもきっとそれは勇気の問題なのだと思う。僕の住んでいた街で垢抜けた格好をするのは勇気がいる。それに必要なものを買うためにターミナル駅のセレクトショップに行くのも勇気がいる。そこにお金を使うことも勇気だ。マクドナルドで、お腹を満たすために安いやつを食べることを選択せずに、季節限定ハンバーガーのセットを買う時のような、そういう勇気だ。その勇気を駆使して、彼は垢抜けて、その勇気をひた隠しにして僕に電話をしてきたのだろう。それはきっと、とてもむずかしいことなんだろうな、と想像する。

僕は東京の大学に受かり、今はダンボールが積まれた部屋で寝転がっている。これからはたくさん勇気を出さないといけない。

 

昼過ぎにはつくから、と親から連絡が入る。 

 

荷物をほどくのを手伝われるのは嫌だった。僕は、生まれ育った街を出る、ということをひとつの切断にしたかった。だからゆうべは学習机を見ながら泣こうとしたりしたんだけど、結局感傷は湧いてこなくて、だから、あとで泣けるようにしておこうと思って写真をたくさん撮った。それなのに、一度別れたはずの親が、僕の勇気の世界の中に再び入ってくるのは少し怖い。

 

ゆうべは引っ越しのトラックと一緒に東京について、オリジン弁当ホイコーロー弁当を買って、それを床に置いて食べた。部屋は静かで、携帯電話のスピーカーで音楽を流してみたけど、寂しさが浮き彫りになるみたいですぐにとめてしまった。コンビニに行ってお酒を買おうとしたけど、そんなことはやったことがないのでやめた。コーヒー牛乳を買った。レシートを捨てようとして、そこに東京の住所が印刷されているのを見て、折りたたんで財布にしまった。これから自分が過ごすことになる街を歩く。自分の中から湧いてくるのではない、外側から、孤独に包まれてしまって、窒息しそうになったので部屋に戻り、寝袋にくるまって眠った。

 

その孤独の予感を、親は打ち消しにやってくる。

 

僕はこれから、友人のように、少しずつ勇気を出しながら東京に溶けていくのだろう。東中野新井薬師という町が近いことを知るのだろう。さまざまな街のことをしるのだろう。桜が咲いたら中目黒にいくのだろう。毎年毎年、いろんな桜を、まだ知らない人たちと、まだ知らない気持ちで観たりするのだろう。そして、東京に溶けて自分の輪郭が消えそうになったときに、今日を懐かしむのだろう。懐かしんで、少しだけ輪郭を取り戻して、また勇気を出して東京に入っていく。そういうときのために、僕は昨日、自分が使った学習机の写真を撮ったのだ。

 

だから、もう、親は、僕の生まれた街のように、ただそこにある、安心するための存在であってほしい。ゆうべ、孤独の中に見えた勇気を出さなきゃならない理由を見失いたくないのに、安心が東京に入ってきたら、僕は、これからの僕になれなくなってしまう。

 

 

カーテンのついていない窓から光が入ってくる。開けた窓から入る風は少し冷たい。窓の外をあるく親子連れの声が聞こえる。隣の部屋のベランダで洗濯機がまわっている。クローゼットにかかった服を見る。垢抜けていない服たち。入学式で着るスーツ。垢抜けていない僕。ゆうべのレシートをいつまでとっておくのだろうか。携帯電話を見る。東京、桜は、咲き始めているところもあるらしい。友人が買ったブーツの写真。シーリングライトのついている天井が低い。チャイムが鳴ったときのために、気だるそうな顔を作る準備を始めて、1人で少し笑ってしまった。