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ブログのタイトルを変えました。

 

写真家の金村修が「展示とか写真集のタイトルは洋楽のタイトルっぽいやつにしてる。意味はない」と言っていたのを(わからない、たぶん言ってた。言ってなかったら今俺が考えた)思い出して付けた。思い出したことにも意味はない。

 

意味があるとすれば、という話をしたいと思った。

高校生の頃のブログのタイトルが「Kill All Happiesと僕」だった。それは、プライマル・スクリームの「XTRMNMTR」の一曲目から取った。Exterminator、エクスターミネーター。皆殺し人、撲滅人。暴力だ。戦闘機、アメフトのヘルメット、ミサイル、爆撃。

人のいない街で、人のいない家から流れ続けてるラジオが同時に聞こえてくるみたいな不気味なサンプリング音源にフューチャリスティックなシンセが、ドラムループが重なり、フィルインのあとにバキバキに歪んだマニのベースラインが音像の四分の三は占めるであろう大音量で今までの音を破壊していく、というかっこよさに16歳だった俺はぶちのめされて、1分近くあるそのイントロを100回は聴いて、アルバムのその先になかなか進めなかった。

 

加えて、曲のタイトルである「全ての幸せを殺す、ってマジでカッケー」と思って震えるあまりブログのタイトルにしたのだけど、Happyは形容詞だし、その複数形はHappinessだし、そしてプライマル・スクリームはイギリス人なので英語を間違えるわけもなく、ちゃんと見てみたら曲名は「Kill All H"i"ppies」だった。友達には「あえてHappiesにしてるのがかっこよい」と言われていたので黙っていた。

 

高校受験では勉強してまあまあの進学校に入ったのだけど、勉強を一切しなかった、というか勉強することができなかった、勉強がいきなりレベル高くなりすぎて嫌になった、ので、成績は下から5位圏内を常に移動していた。故に、両親は俺の携帯の使用制限と、家のインターネットの利用禁止を設けていた。客観的に見ても妥当な対策だったと思う。

だから、ブックオフでロッキンオンとスヌーザーとBUZZとクロスビートのバックナンバーを100円で買って、そこに書いてあるアルバムを同じブックオフの100円もしくは280円コーナーで買い、授業中に学ランの袖からイヤホンを出して頬杖をつくふりをしてそれらを聴いていたら、ついに受験シーズンになってしまった。

 

2009年2月13日、明治大学文学部の日本文学科(いま思うと、マジで何も考えずに学科を選んでいた)の試験。朝、父親がペットボトルの温かいカフェオレを駅の近くのコンビニで買ってくれた。それを「頑張れよ」という言葉と共に渡され、絶対に受からないと思いながらも東京に行けることにワクワクしていた自分がとても情けなく思えて、罪悪感に押しつぶされそうになった。

東京へ向かう電車の中では、およそ受験生のものとは思えないくらいきれいな状態の英単語帳を眺めていた。そのうちに、先の罪悪感を埋め合わせようとしたのか、「俺にだって奇跡くらい起こるに違いない」と思いはじめ、降り立った御茶ノ水に雪がぱらついているのを見る頃には、「受験の日には雪が降っていたよね、と4月に新しい友達と話すために、この雪の景色はしっかりと覚えておこう」と考えるまでになっていた。

会場につき、着席をして、奇跡の可能性を少しでも増幅させるために単語帳を開いた。隣の席には、坊主が伸びっぱなしになったような髪型の少年が制服を着て座っていて、なんてダサいやつなんだ、と思っていたのだけど、彼は一向に勉強を開始する気配がない。俺は馬鹿だったので、馬鹿め、とほくそ笑んでいたのだけど、カバンから彼が1枚の写真、おそらく昨年夏に引退した際の部活の集合写真を取り出し、それを眺めながら口を一文字に結んでいるのを見て、俺は奇跡を信じるのをやめた。

あとは祈ること、自分を信じ切ることしかやることがないこいつが落ちて、俺が受かるなんてことがあってはならない、そうであるのならば世界は間違っている、とさえ思った。そして大学には落ちた。

 

それから俺は浪人をして、大学に入り、文字化けをした卒論を出せずに留年をして、大学院に入って、修士論文を書いて、今週には(おそらく)いまいる場所を卒業する。4月からの職は決まっていない。立場がなくなる。いやはや。

 

それでも、いまは楽しい。罪悪感を覚えないのはきっと、仮想敵を全員殺そうとしていたような心の動きが消え去って、もっともすぐれた敵である自分自身と格闘して毎日微力ながらも勝利をおさめているからだ、と信じたい。殺しはしない、蹴り飛ばして舞台から突き落とすくらいの勝利を。

 

・・・・・・・・・

 

 

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修士論文を書いている時は何をするにも息が詰まり、せめてこの息苦しさの記録にと部屋の写真を撮っていた。「これまで議論されてきた部分で論理的にまとまっている箇所よりも、君自身の言葉で書かれているところに惹かれた。ただこれはほとんど論文ではない。おそらくこのテーマで君は生きていくのだろうし、だとするのならば研究以外のところで表現することをやってみてはどうだろうか。葛藤して、板挟みになって、引き裂かれている切実さは見えたが、それが全く昇華されていない」と評価された。壇上で苦笑いするしかなかった。

 

 

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昔住んでいた街に行ったら、昔住んでいたアパートの近くにいる犬が大きくなっていた。

 

 

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初めて築地に行った。場外市場はテーマパークのよう、場内は作業現場。延命処置を受けながらも稼働し続ける市場の奥にシムシティのようなビル群が立ち並んでいる光景は異様だった。

 

 

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主を失って放擲されるがままの生活の残骸 残されていることに意味はない、壊されたとしてもまた意味がない

 

 

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1ヶ月強ぶりに横浜に行った。一年前と同じような暖かさで、友人と再開し、酒を少し飲んだ。学生生活が終わる。

 

 

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 肌寒い程度の気候だったので、久しぶりに自覚的に写真を撮りながら街を歩くも、すぐに飽きる。相変わらずゴミの写真を撮る。2027年にこの街が様変わりしてもゴミは路上に出続けるのだろうか。