2002年1月5日

明けましておめでとうございます by xxxx [Mail] 20020105日(土) 2210
 本当に新しいって単純にいいですよね!生まれたばかりの赤ちゃん、おろしたての下着、洗ったばかりのシーツ、塗ったばかりのペンキの壁、開いたばかりのページなんやかやこの気持ち、この感覚をできるだけ持続できたらなって思います。今年もよろしくお願いします。
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当時は大塚にあった癌研病院にいくついでに、今回は東京のどこに行けるのだろうとワクワクしていた。でも結局、オリジン弁当と、ピーコックの焼き芋をたべて、また関越で地元まで戻る。ある日、上野観光をしたあとに病院に行くと、土気色の顔で、全身がむくんだ伯母さんに笑顔で迎えられて、罪悪感で心臓がつぶれそうになった。そのうちに俺は部活が忙しくなってお見舞いにも行けなくなった。

 

伯母さんのベッドの上には星の王子さまのぬいぐるみがあって、それで妹と遊んだ。チェブラーシカのマグカップ。電子辞書。CDプレイヤー。大学生になって、そういえば伯母さんのCDのなかにハナレグミがあったな、と実家に帰った時に納戸のCD棚を見たら、発売日は2005年の1月だった。伯母さんが死んだのは2004年の5月だ。計算が合わない。永積タカシと交際があったのか、俺は知らないし、知ることはできない。

 

2004年の4月からは、週末はほとんど家に両親がいなかった。土曜の部活はサボって、家にある、『ジム・キャリーMr.ダマー』を笑えなくなるまで見たり、ゲームボーイをしたりしていた。母はいつも小さい東京土産を買ってきてくれて、それがお菓子のひよ子だと嬉しかった。

母の日も、母は東京に行っていたので、俺はイトーヨーカドーで小さい時計が首にかかったテディベアを買っておいた。帰ってきたら渡そうと思ったのだけどその晩の帰りは遅くなり、ただいま、と俺の寝室に入ってくる声が聞こえたので、机の上を指差したら、その先を見た母が泣きながら、ありがとう、とベッド上の俺の手を握った。俺はその日も部活をサボっていたし、それを買った金はこっそりと降ろしたお年玉だったので、素直にその感謝を受け取れず、早く部屋を出ていってくれないかなあ、と思ったのを覚えている。

 

その数日後に伯母さんは死んだ。

人生で初めての葬式だった。雨が降っていた。落合斎場で、親族8人と伯母さんの友人のあわせて9人だけで骨を拾った。遺骨を持つ俺に対して、祖父が、親より先に死ぬんじゃないぞ、と泣きながら言う。大人の男性が泣いているのを初めてみた。

その現象に出会うのは初めてなので、死んだ、ということがどういうことなのかがわからなかった。もともと東京にいる人だったし、伯母さんに会うために東京に行く、東京の伯母さんが来る、その往復の中にしか伯母さんはいなかった。だから、単にそのスパンが大きく開くだけなような感覚もあった。そしてその感覚は今も続いている。開き続けるスパン。

 

その3年後に祖父が、そして父方の祖母が、そして昨年母方の祖母が死んだときは、涙が流れて嗚咽が出た。ただ、伯母さんの死だけは、未だに実感が伴わない。

 

代官山のマンションで遺品整理が終わったあとに、その部屋の持ち主だった人間の妹である、母、が唐突に、叫ぶように泣き出した。俺は、あの泣き声に、自分の実感を肩代わりさせている。14年経った今でも。

 

そして、それまでずっと外部としてあった東京に入り込んで、8年が経った。伯母さんの住んでいたマンションはまだある。俺は代官山に行くたびに、その写真を撮っている。実感がわかない。俺の知らない伯母さんの東京。伯母さんがいた東京。

 

東京。ここはなんなんだろう。東京、東京、東京、俺のいる東京。俺と誰かのいる東京。俺しか知らない俺の足取り。見えない伯母さんの足取り。友達。恋人。毎日たべたもの。すぐゴミ箱にいれられない理由があるゴミ。洗濯物の干し方。見た映画。聴いていた音楽。歩く時のBGM。玄関の芳香剤。ラベンダーのドライフラワー。会いたい人、考えていたこと。俺はいま東京にいる、東京を歩く、恋人と、友人と、あなたの妹と、俺の妹と。むかしみんなで食べたとんかつをこのあいだ父と食べたよ。話したいことがたくさんあって教えてもらいたいことがたくさんある。俺は大人と呼ばれる年齢になってしまった。みんなで歩いてヘトヘトになって、東急で買ったトップスのチョコレートケーキを食べながら、俺を叱る母を叱る伯母さんのことが忘れられない。あのとき俺はどうすればいいのか本当にわからなくて困って泣いてしまった、ということをいまなら言葉にできるのに。東京で電車に乗っていると何回もトップスの袋を見るけど、俺はあれ以来たべてない。サブウェイのサンドイッチ。シェ・リュイのバケット。伯母さんはトーストを焼く時に電子レンジのオーブンで焼いてたけどあれはちょっとおいしくなくて嫌だった。レンジは俺が今も使ってる。伯母さんのアニエスベーの時計は今の俺の彼女が付けてる。すごく似合ってるから見せたい。やっと、やっと東京に来られたのに。俺は新幹線に乗ったことがなくて、いつも乗りたがっていたから、今度新幹線で遊びにおいでっていつも言ってくれてたのに行けなかった。ああ、もうほんとうに、こういうのが全部東京だ。どうしようもなく東京だ。

 

 

ずっと、こういうことを考えている。卒業論文では飽き足らず修士論文にしようとしたけど、結局なにも言えなくて、でも俺は、いま、俺が生きているということを言いたくて仕方がない。

 

だから、伯母さんが2002年の1月に、あの部屋から、友達の集まる掲示板に書き込んだ文章を見ても、俺はそこから何も、まだなにも実感できないし、実感したような気持ちは殺すし、何もかもが失われていて、見えなくなって、誰も彼もから忘れられたとしても、俺の今は失われるものである、とか、そういうことは、今の俺は考えない。

 

なので、ずっと書いてきたこういう話は、おしまい!別の言葉で。次いくぞ!次!